まどか☆マギカ叛逆の物語 鑑賞会

先日1月11日土曜に、京橋URAにて、
魔法少女まどか☆マギカ 反逆の物語の鑑賞会をしましたので、報告させていただきます。

昨年の夏に「かぐや姫の物語」「風立ちぬ」、「イデオン」それぞれの鑑賞会をやりました。
主催者側の推し作品を順にみたので、「では、私も……」といった感じで、まどマギ叛逆の物語を提案しました。

フィクションのことに限定して考えつづけて発話できる場所・環境というのは、限られているといつも感じています。
(いまの時代にそれができる環境に……、『自然発生的に』居られることができる人はさまざまな条件に恵まれているとおもうし、かぎられていると感じます)
昨年の連続鑑賞会は、「そういう場所をつくることができた、あるいはつくれる予感がした貴重な会」だったと感じているので、
できるかぎり醸成させていきたいとおもっており、また開催した次第です。

まどか☆マギカは2011年当時、テレビ版が話題になっていたばかりでなく、今回鑑賞した映画のほうもかなりの完成度で上映当時話題になっていました。
また、チョイスした理由としては、監督や脚本家を変え、設定や世界観を継承したスマホゲームである『マギアレコード』が今年からアニメ化するときいていたので、あらためて本作をとらえなおすのには時期としてちょうど良いのではないかと思ったのです。

主催者の情報

るま(ブログ書いてる本人)
京橋URA よすだ氏 
岩倉のギター弾き むらた氏 

当日の鑑賞は、「見たことがある人2人(+1人)」「みたことがない人2人(+2人)」
ですすめました。
(+ 人)と表記したのは、終盤できた人や、終わってから来た人のことをあらわしています。
(参加者の具体的な情報は伏せますが、0歳のお嬢さまのことも含んでいます。アニメ英才教育が完了してしまった……。)


〈以下はまどマギ叛逆の物語やマギアレコードのねたばれも含みます。誰が何を言ったか、は書きません。(言いたい人は個別で発信して)〉

個人的にはめちゃくちゃ好きなまど☆マギを人と観れるというだけでテンションがカンストしていてそれだけで満足だったのですが、やってよかったなと思ったのは、次のマギアレコードの話や魔法少女ものアニメに関しての話ができたことです。

いちおう出た感想など箇条書きで書いていきますと、

  • 情報量が多い(初回鑑賞の人もいたため特にこの意見があった)
  • まどかはアイドル(実際の前半の変身シーンでもアイドルがモチーフになっているような踊り方をする)で、ほむらがファン?
  • ほむらがわがままを通した話のように書かれているがまったくそのようなことではなく、なぜならほむらがいうには、「愛」で、あくまでまどかのことを考えてまどかのために行動している(つもり)。
  • というのも、終盤のまどかとほむらのやりとりは温度差がありすぎて……。
  • 現実のファン……キモ・オタクの続編熱望自体がほむらというキャラクターに投影されている。まどかのことを考え続けたほむらはファン……キモ・オタクの象徴のようにならざるを得なかった?。
  • ほむらは基本的にさやかにちょっと冷たい。ラストのシーンでもそう。まどかの親友という立場に妬いている?
  • 半月や満月など、月の表現が印象的。
  • 「ああ、これが私の絶望」みたいに少し距離をとっている時点でほむらは魔女としてもまだ余裕があるなと思う。
  • ほむらの絶望の表現はおのおの、好きなシーンがあるみたいで、指定して何度か繰り返し再生したりしました。
    (数人の胴体が伸びきったほむらが地面にはいつくばっているほむら自身を見下ろしている表現など)

    あと、私からこれだけはいわせてほしいのですが、「私の感情が追いかけてくる」という表現は最高で、これがなければこんなにこの映画を好きだったかはわからない……。

    ちなみに、ラストの意味は今あらためてみてもハッキリ明言できませんがあの無感情なぬいぐるみが絶望を……(みなまでいうな)

また、二次会的な感じでマギアレコード1話を見ました。(時期的にちょうど放映開始直後だった)

私をふくめてゲームのシナリオをすでにしっている人もいて話ははかどったのですが、
マギアレコードではいろは、やちよたちはじつはシェアハウスしてるんですよみたいな話から、
まどマギのキャラでシェアハウスするなら誰?みたいな話に発展しました。

  • その結果、いちばん人気がないのはマミさんでした。
    マミさん圧倒的に人気なさすぎてやばかったんですが、「話ができる人ではないから」とのこと。
    TV版でも、ほむらが経験した世界のひとつに、魔法少女の仕組みをほむらが暴露した結果仲間に銃を向けるシーンもありました。
    マギアレコードでもマミさんの真実に対峙したときの対応のやばさを軸にした新たなシナリオ展開がありますからね。
  • さやかも、外側はさっぱりした態度だったり「わたしは不思議ちゃんなのさ~」みたいな茶化すようなキャラをしながらも内心めちゃめちゃ傷ついていたり、一緒にくらすのは面倒そう。と。
  • また、ほむらも人気なく、みんなで仲良くやっていこうという場で一人に執着する人間がいると確実にうまく回らない。など。
  • まどかも、意外とすぐ出ていきそう。とか。
    まどかはたしかに、人に対して良いことしか言わないので、まわりからみると本音がわかりづらいし、扱いにくいかもしれないですね。
  • いちばん人気は杏子で、理由は、
    アシダカ蜘蛛を飼うような感じでトラブルはあるていど解決してくれそう。
    杏子自身がトラブルを発生させるとしたらカンパボックスから小銭を盗むなどといった手癖の悪さだろうが、入ってきたときは倍にして返してくれそう。など。

ちなみに、このテーマ、感想会より盛り上がった。キモ・オタクかな?

あとおまけ。

魔法少女アニメについて話しているなかで、むかしのアニメの話になり、赤ずきんチャチャの話があり、1話をみんなで鑑賞しました。
セラヴィー先生のキャラ設定が邪悪すぎるのでいまの時代にリメイクしたら人気出そう。みたいな話になりました。
あと、利権などの関係でいろいろあったらしく、オープニングテーマの君色おもいがSMAPではなく、スターチャイルドレコードの謎の歌手に替わっていた。

以上、報告おわり。来ていただいた方ありがとうございました。

ミソジニー勉強会の報告

報告がかなり遅くなりましたが、昨年10月26日土曜のお昼間にミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)勉強会を行いました。

報告の前に、まずはそもそも、なぜこのような会をひらこうと思い立ったかについて、簡単に記しておこうとおもうのですが、それは、私がふだん行っている占い鑑定が影響しています。

前々から何度か話題にはしているのですが、
過剰に占いに依存してしまう方にいまだに頻繁に遭遇します。
(過剰に依存するというのは、たとえばここでは毎日おなじ内容で占い鑑定にいってしまうような人を指すとしましょう)

本人が望んでそうなっている場合は特に問題ないとおもうのですが(それはそれで病理ではあると感じるもののそれはまた別の話)、
私に相談にこられる人は「占いに依存しているのがつらい」。
しかも、減らしたい、などではなく、「本来は占いは別に好きではない」「もうすっぱり完全にやめたい」とおっしゃる方がとても多いです。
(そういう相談が多いこと自体は、私が「占い依存を抜けたい人歓迎」と案内を貼っている影響もあるとは思いますが。)

たとえば私がスポットを当てたいと感じている例のなかに下記のような流れがあります。
まず、
なんらかの悩みをかかえる
→しかし他人に相談するスキルがなく相談ができない
→身近にいる異性に相談
→(互いに異性愛者である場合)恋愛関係あるいは性的ななんらかが発生しやすくなり、
→こんどはその相手との関係自体に悩み、
→相談する人間がいなくなるためにまた思い悩む
→(ひとつの依存先として)占いに過剰に課金してしまう……。

(余談として正確にデータをとったわけではないですが、千件単位で鑑定を繰り返した結果、体感として、「望まないのに結果として不倫をしてしまう」という人には特にこの傾向はあるように感じています。(すべての方がそうではないです))

では、なぜそもそも「同性に相談できないのに異性には相談できてしまう」状況が発生するのか。
私が注目しているのは自己の性に無自覚に依存している状況。
また、無自覚に競争相手になりえる同性を排除してしまうという心理です。
(「ミソジニー」は、これを考えていく過程で突き当たった概念です。)
この現状について本人たちの在り方に問題があるということももちろんできますが、その回答だけで満足してしまうと、私がふだん行っている鑑定の仕事が健全なサイクルとして今後はたらかなくなっていくという予感があり、
「小規模でもかまわないので、占い鑑定の仕事をやるかぎりはなにかしらの解決策をそのサイクルに組み込ませてやっていかなくてはならない」と強く感じており勉強会を実行にうつすようになった次第です。

(念押ししておきますが、占いにくるすべての人が依存してしまいやすいわけではないですし、
すべての人が浮気や不倫をするわけではないですし、
パートナーである交際相手、そして、同性とも仲良く、且つ占いも人生にうまく活用している人もたくさんいらっしゃいます。)

「同性との連帯を目的にした連帯をやっていきたい」というのがそもそもの趣旨で、
そこからはずれない範囲で、選書して勉強会を今後も実施していきたいと考えています。
ただし女性男性の二項対立に落とし込んでしまうと、またあらたな差別を産む危険性がありますので、あまり性別にはとらわれず、同性同士での信頼関係や基盤ができたら、男女含めて勉強会を実施していきたいと思っています。
ミソジニーという概念をまなぶこと、そしてフェミニズムまわりの歴史をまなぶことは現状の日本でのスピリチュアルの業界を客観的にみて関わっていくために必要な態度であると感じています。
趣旨に賛同してくださる方の参加を今後おまちしています。

さて、第1回は上野千鶴子先生の「女嫌い」という本を読みました。
そもそもこの「女嫌い」を選んだのは、本のなかで、「誰もがミソジニーを抱えている」という説明がされていて興味を持ったからです。
この本の目次を元にして、互いの経験を持ち出しながら話し合いができればおもしろいと考えました。
私が本の概要を目次ごとの項目ごとに説明していきながら、話したい共有したいと感じるエピソードがあれば、話してもらうという進行のやり方でした。
本の内容をただ頭にたたきこむのでなく自身の経験に紐付ければ頭にはいりやすくなるのではないかというねらいもありました。
(参加者全員がミソジニーを抱えた当事者というわけではありませんでしたが、話の進め方は当事者研究会で使われているものを参考にさせていただきました(特にダルク女性ハウス))

「自身の経験をしゃべりすぎてしまって後からひとりになったときにつらくなる」ということを、特に避けたいと感じておりましたので、
『思いついたからと言って、いきなり話さない。まずはかならず紙に書く』というルールをつくり、手元に用意した紙に話したいことを落とし込んだ上で、ほんとうにこの経験は共有して大丈夫か? 精査してもらった上で共有してもらうようにしました。(性別の話は本人にとって、アイデンティティに知らぬうち深くむすびついているエピソードである可能性があるため慎重になりました)
また、話すのが得意な人不得意な人もいるわけなので、場の空気が誰かに過剰にかたよらないようにフェアになるように心がけたかったというのもあります。
とにかく『しゃべらない』だけを決めた会だったのですが、
実際は予定時間を大幅にオーバーしてエピソードの共有や、おしゃべりが続いた状況だったので、
やっぱり『しゃべらない』というルールを決めるくらいの調整の仕方でちょうどよかったとは思います。
誰かが傷つかないようにという点はかなり気を遣ったのですが、実際どうだったかはわかりません。
ですが私に聞こえてくる感想としては良い内容でした。想定していた以上のことができたのではないかと感じました。
参加費1000円、場所は私の鑑定事務所で、私を含めて3名の参加でした。
参加いただいた方どうもありがとうございました。

2回目は12月だったのですが、じつはインフルエンザにかかってしまい、それがきっかけで体調不良が長く続いてしまったので、しばらく活動をストップしていました。
なので、次回は1月……来週の土曜に予定していますが、今回は調整の意味も含めて、クローズドで行う予定です。(『女ぎらい』の続きを読むのと、あとはお寺に寄ったりもする予定。)

2月、3月以降も構想中。興味のある方はご連絡くださいませ。


亜弥女

2019/10月時点の亜弥女の活動報告

なにかあるたびに更新するつもりだったのですが、気づけば前回の活動報告から1年経過していました……。ツイッターでは定期的に報告しているのですけどね。

気を取り直して、現状お伝えしていきます。

LINEトーク占いでの亜弥女の鑑定価格について

現状の鑑定価格
チャット相談:DIAMOND 250円/1分
電話相談:PLATINUM 240円/1分

ちなみに1年前の活動報告ではチャットは1分200円 (PLATINUM)でお受けしていたようです。
いまのLINEトーク占いはDIAMONDクラスが上限なのでチャットはもう上がりませんが、電話鑑定は今後また上がるかも? 
気になっている方はぜひ電話鑑定おこしくださいね。
(私個人の鑑定でも今は電話での鑑定ご用意していないので、
電話鑑定希望の方は、LINEトーク占い /リエル どちらかからの依頼をおねがいしています)


友だち数も鑑定数も、レビューも、1年前からくらべて、かなり増えました。ご興味のある方は、1年前の記事、覗いてみてください。


京都市内に事務所をたち上げました。

9月から事業所を持ちました。詳細な場所は御用のある方のみお伝えしていますが、京都御所の南にあります。
ふだんはその事務所で鑑定を受けたり、You Tubeの撮影をしたりしています。
対面鑑定も受付しています。※予約制。ご希望の方は→お問合せ

ときおり少人数での勉強会もやっています。
告知はツイッターで行うことが多いですので、ご興味がお有りの方は、チェックしていただけると幸いです。
(占い自体の勉強会ではなく、読書会のようなものが多いです。)
(ときどきお問い合わせいただきますが、占いは教えることはやりませんし今後も予定はありません。)

You Tube再開しました。

8月から事業所をさがしたり引越したりとで環境がおちつかず、また、あてにしていたインターネット回線がすぐに引くことができないトラブルがあり、2ヶ月ほどおやすみしていましたが、You Tubeを再開しました。

現在のチャンネル登録者は1800人です。
これも、1年前の登録者がちょうど800人だったようなので、増えましたね。ありがとうございます。今後もほそぼそと必要なことをやっていくつもりです。

メール鑑定を常設しました。

You Tubeで定期的に告知していたメール鑑定ですが、常設しています。
もともと依存気味になってしまうという方のために、期間を空けてしか受付できないようにしていたのですが、肝心のそういった方に、あまり効果を感じていただけなかったようでしたので、数ヶ月前から常設しています。

詳しくは↓
メール鑑定 /前払い /2800円


今回は以上です。

先日の勉強会を事務所でやったのですが、その報告はまた別途書きます。

亜弥女

風立ちぬ鑑賞会

8/17土曜に風立ちぬ鑑賞会を京橋URAにて行いました。

企画の発端は前回(かぐや姫の物語鑑賞会)とほとんど同じなのですが、ひとつ言えるとすれば、むらた氏は風立ちぬがきらいと言い、URA運営人よすだ氏は好きと言い、(ちなみに私はきらいと言った)こんなに意見がわれるのはどういうことだ、あらためて観てみよう、という運びでした。

今回の参加者は運営人らも含めて10名。(女性3名・男性7名)
そのうち、今回はじめての鑑賞だった人が4名、
2回目以降が5名、
まったくみたことがない人が1名(鑑賞会に参加はせず、感想会だけ来てくださった)という状況でした。

また、2回め以降だという人たちは過去にみたときの風立ちぬの印象として、好きと嫌いとで半々くらいでした。

(あとは、先にことわっておきたいのですが、今回メモしていたデータが消えてしまっていたようで(すみません……)、ほとんどを記憶から引き出して書いています。発言されていたことに取りこぼしや少々の相違があっても寛容にうけとめていただければ幸いです。)

(※この記録はすでに風立ちぬを視聴されたことのある方向けです。
あらすじや作品概要なども端折ります。)

【風立ちぬは夫婦愛を描いた作品?】

お一人、まったく鑑賞なしで感想会にだけきてくださった方がいて、
みんなで感想を述べ合うまえに、まずはその方から『「風立ちぬ」とはどんな映画だと思うか?』印象をきいたところ、映画の広告などで知ったイメージから「夫婦愛を描いた話だと思っている」というようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。

実際は夫婦のエピソードについて、

二郎もそうだが、勝手に帰ってしまう菜穂子もエゴイストなのではないか。似た者同士の恋愛なのだから他が口出しすることではないのではないか、

「そもそも二郎は基本的にじぶんのことしか考えていない。サナトリウムで療養中の菜穂子に送った手紙も書いてあった内容をよく読むと、後半はじぶんの飛行機の仕事のことばかり書いていたように見えた」「むしろ全体の物語を通して考えると、後半の夫婦エピソードがあること自体に違和感がある」などの声がありました。

当時はタバコのシーンについてよく取り沙汰され批判の対象になっていたように思いますが、それに対しては、うつるかもしれない結核の菜穂子と一緒にいるという時点でお互いさまなのでは? とも思いますし、実際に今回の鑑賞会参加者にはこの点に対して強く反発をしたり、引っかかるというふうに言っている人はいなかったように思います。

(ちなみに感想を一周してから、冒頭の方にあらためて印象を聞いたところ、「自分のエゴで女性も見捨ててしまう男性の話」とおっしゃっていて少々申し訳なくなりました……、ぜひじっさいに鑑賞してどう感じるか確かめていただきたいです)

【風立ちぬは主人公のエゴを描いた映画?】

鑑賞した人たちの話をきいていると、主な焦点であったのは、「これはエゴを描いた映画なのでないか?」ということであったように思います。

「子供にシベリアをあげようとするシーンが最後までつづきそれをずっとみせられている気分になる」という意見もありました。

しかし、このことについて、長く話すうち、それはあくまで表面的でわかりやすいテーマなのであって、実際に描かれていることはもっと別にあるのではないか? ということを探っていけたように思います。

二郎はエゴイストだからだめだとか、良いだとかを議論しているようではこの映画に描かれているもっと別のものを見落とすのではないか……。

最終的に感想会に遅くまで残ったのは5人ほどでしたが、各々そういう共通意識があったように思います。すすめていくそのなかで、やはりエゴの肯定ということだけでこの映画をとらえるのは無理があるのではないかという手応えらしき話あいができたようにおもいます。この件については後述していきます。

【カストルプをどうとらえるか】

  • 心のなかのお友達説
    物語中盤に出てくるカストルプというドイツ人(?)について、これは二郎の心がつくりだした幻想なのではないか……? という意見がありました。そんなばかなと思いつつ、みんなでカストルプが吸ったタバコを確認するなどもしましたがかれが消えたあとのタバコは灰皿に置かれ煙も描かれていましたし、一応は二郎のまえに実際にあらわれたキャラクターなのだろうという判断になりました。この意見が出たのは、風立ちぬ自体、夢と現実がうまく入り交じってどちらかわからないようなシーンや言葉が何度も繰り返される構成だからだと思います。
  • 菜穂子との恋路がスムーズにいかなくなる暗示としてのカストルプ
    トーマス・マン『魔の山』を引用し、「忘れる」という言葉を繰り返すカストルプ。世界情勢を混ぜて不穏なことを話してきたり、二郎と菜穂子のあいだで往来する紙飛行機をあいだに入ってキャッチし、にぎりつぶしてしまった描写もありました。
    二郎が目をそむけている現実を目の当たりにさせる存在としてのカストルプという見方もできるかなと思います。
    また、日本のエンジニアの男と女の恋を暖かく見守る外国人というそれ自体が不穏、彼は実際は後に特高に追われる身であり、雲行きを知っていて見守っている気持ち悪さがあるという意見もありました。

    そのほか、
  • 地震の描写が衝撃。音が気持ち悪く、あらためてみても音がほんとうに気持ち悪かったという意見
  • 本庄との関係がBLにみえるかという視点からみてみたが、違和感なかったという意見……(二郎が菜穂子と結婚してから急に「俺たちは美しい飛行機をつくりたいだけだもんな」などと言い、二郎とロマンを共有しようとする描写があった、など。)

【「夢がつながった」をどうとらえるか】

映画の冒頭で二郎とカプローニの夢がつながったと示されるシーンがあり、これをどう捉えるかで読み方がかわってくるようにおもいます。

それは主に、映画ラストのカプローニとの夢に菜穂子が登場し、「生きて」と手を振るシーンにかかわってくることで、「夢がつながる」を素直にうけとめこれを前提にかんがえれば、「菜穂子も、二郎とカプローニと同じ夢を共有できたのだ、だからあの場にやってきて手を振ることもできた」ととらえることができるとおもうのですが、それでもやっぱり「菜穂子がどう感じていたかなんてわからないことではないか」というふうに引っかかっている人も複数いました(私もそう)。(しかしながら全面的に、素直に読み取って感動されている人もたくさんいましたから、これはやっぱり本来必要のない見方であり読み方なのかもしれません。いまあらためて書いていてもそっちのほうが正しい読み方のようにもおもえます。ですが感想会に最後まで残っていた数人はそこはなんとなく納得できないという人ばかりだったので、今回は「菜穂子がどう感じていたかなんて確定的ではないしわからない」という立場ですすめた結果を書いていきます)。

【二郎は現実を見ないのではなく、見る能力が欠如していた?】

「夢がつながった」という言葉を素直にうけとるならば、「カプローニや菜穂子と共有する無意識の領域のような場所に足を踏み入れた」ととるべきかもしれませんが、夢というのはほんとうだったのかなんだったのか、よくわからない、二郎の「まぼろし」として捉えることもできる、ラストのシーンで二郎は菜穂子に会っても、まだなおカプローニとすぐに呑みにいってしまうのであって、冷静に観るにはあまりにつらいものがあります。ですが、直前の「ありがとう」と何度も言いながら涙するシーンには一方で切実さを感じます。このように考えていくと、二郎は意図して「現実をみる能力を削って」描かれているような感じがしてしまうという見方が浮かび上がってきました。

カプローニの「ピラミッドがある世界とない世界どちらがいい?」という質問や、カストルプの世界情勢を絡めた質問に、「美しい飛行機がつくりたいんです」のような言い方で回答する、それはまっすぐな態度であるようにみえるが、じつは質問からかんがえると毎度見当違いな切り返しをしている、二郎の言動をみていると、現代でいうところの発達障害(ASD)っぽいという話が出ていました。(これは今回鑑賞会を行った京橋URAでは定期的に発達障害者向けの自助会がおこなわれていることもあり、ブログにもこの言葉で残したほうがいいと判断しました)

とにかく監督の態度や、まなざしがいやだという意見もありました。なんだか自己陶酔的にみえてしまう、というような。

これをなんとか言葉に置き換えていくために外側から引用してくるしかなかったのですが、ジブリの作業現場のドキュメンタリーに『夢と狂気の王国』というDVDがあります。そのなかの宮崎監督へのインタビューのワンシーンで、

「僕は変なんです。たぶんね。飛行機ファンとちょっと違うんです。零戦好きじゃないんですよ僕。なぜならほとんどオタクのものだからです。こういうの好きだっていってるのオタクなんですよ。オタクは何も学ばないのをオタクっていうんですからね」

「監督はオタクじゃないですか?」

「僕はオタクじゃないです」

(――しかしそのシーンのあとにブーンと大きな声を出して、飛行機プラモデルで庵野秀明と一緒に遊んでいる宮崎監督の様子が映しだされる……)

じぶんはオタクではないと言いはる宮崎監督は、同時にオタク気質であり、しかし自身で定義する「学ばない」オタクになりきれないところがある。上記の件を参考にすると、「(現実をみる能力の欠如した)ずっと学ぶことのない愚直な人物」にどこか憧憬をもって風立ちぬを描いたのかもしれない……とも思えてきます。

(もののけ姫ジコ坊がアシタカに言う「バカには勝てん」というセリフも、ここにつながってくるという意見もありました。)

そしてそれ自体を肯定し美しく描き切った監督をゆるせるかどうか、寛容にみるべきと考えるかどうか、で、映画「風立ちぬ」をきらいと感じるかどうか、わかれるのではないか……、話し合いは、そういう結論にいたりました。

(今回書いていて思い出しましたが、宮崎監督は庵野秀明のエヴァンゲリオンを「庵野はね、あんな素直な作品つくっちゃってね」みたいな評し方をしており、これは庵野の作品への愚直な態度それ自体を評しているともとれますし、庵野秀明が風立ちぬの二郎の声をあてることになったのはある意味で宿命的だったといえるのかもしれません……)

(個々人の感想を名前をあげてブログに残してしまってよいものか迷うので、自身のことにとどめておきたいのですが、少なくとも私はあらためて感想を書いていて、前ほど「納得いかない」「好きじゃない」感じはなくなってきました。むしろ好きかもしれない、もうきらいな作品こそ鑑賞会やったほうがいいかもしれない)

いずれにしろ感想会ほんとうに盛り上がりましたし、話し合うにしろこれだけの材料が出てくる映画『風立ちぬ』は名作だというのは全員一致の意見でした。

このたびもご参加くださったみなさまありがとうございました。

かぐや姫の物語鑑賞会

7月7日の日曜に、出張版クローゼットΔデルタとして、京橋URAにてかぐや姫の物語の鑑賞会を行いました。

 

鑑賞後、お茶会をひらき、視聴した人たち(合計5人(男3、女2))でこのアニメーションについて話し合いましたところ、複数の見方が出てきましたのでそれをそれぞれ簡単に残しておきます。

企画者は私(@rmarminor) と、むらた氏(@bigmuffkazoo21)

 

(私とむらた氏は過去に視聴済で、ほかの3人はみたことがないという状態で行いました)
(ちなみに私自身は4、5年まえに一度みたきりで、そのときに持った感想としては「あまり好きになれない」でした。なぜ好きでないと感じたのかよく思い出せなかったのですが、今回の鑑賞会で思い出すことができましたので、それものちほど書いていきます。)
 
※この記録はすでにかぐや姫の物語を視聴されたことのある方向けです。
あらすじや作品概要なども端折ります。

【夢物語であるところのかぐや姫の物語】

このアニメには理論だてて考えているだけでは説明のつかないところがいくつかあって、それに対してほんとうは理屈がきちんとあるんじゃないかと考える人もいれば、そもそもそういうものはなくて、「今」というものが過去であり走馬灯のようなものであり、同時に夢であるということが表出しているだけなんじゃないかという意見がありました。

物語られているなかで説明のつきにくい部分は、単に美しい夢物語のようなものであって、アニメーションのうつくしさでそれを一層引き立てているのではないか。精神分析でいうところの変性意識のようなものを表現として混ぜているのではないか、と。

たしかにかぐや姫の物語のテーマにもなっている曲の歌詞には「いまのすべては過去のすべて」という歌詞もあり、あながちこれは遠くない解釈なのかなと感じました。

【超能力少女であるところのかぐや姫の物語】

それにたいし、「案外、この話はすべてつじつまがあうように作られているとおもう」という意見もありました。かぐや姫が無意識的に願ったことは叶ってしまう。だが彼女自身もそれに振り回されており幸せになれない。

たとえば、そもそも翁にひろわれたこともかぐや姫の望みだったのではないか(ひとりきり子供の状態では育っていけないため)。また、いったんは願って叶うものの、飽きたり、もういいやとおもうと、叶った現実をリセットできる、時間リセットボタンがかぐや姫にはついているんじゃないか、という意見もありました。

【捨丸をどう捉えて消化していくか】

捨丸はオリジナルの竹取物語にも存在しない、高畑勲監督ならではのキャラクターです。捨丸の存在をどう捉えるか、で、物語の印象も変わるようにおもいました。

「捨丸との最後のシーンでは、奥さんもいて子供もいるところからの抱き合うシーンなので、これ不倫じゃないか。胸がざわざわする」という意見がありました。

(じつは私も個人的にこの意見は無視できないとおもっていて、数年前にみたときはこのシーンをどう受け入れたらいいのか、「捨て丸もきらいだしそんな捨丸を好きなかぐや姫もきらい(あれだけ男性を次々拒否しておいてなぜ捨丸のことは全肯定なのか)」、と、自分のなかで消化できなかったため深掘りすることを棚上げしていたことを思い出しました。)

それに対し、捨丸擁護派も存在。捨丸とかぐや姫の逢瀬は、心を通わせ抱き合うところまでするにもかかわらず、一切が夢であったかのような表現で処理がなされる。なぜか不倫のだいたいは同級生や元恋人らしいという話になり、これは一種のif、もしもドラマ的なものであり、誰もが心に捨丸を抱えているが、「なるだけ捨てていきましょうという意味での捨丸」……という意見も出ました。(「やれたかも委員会」的なもの?)

【仏教の規範、あるいは否定であるところのかぐや姫】

この物語自体が仏教の思想を下敷きにしているのではないかという意見がありました。たしかに姫を天に連れていく者の姿は仏の様相をしていました。また、感情が失せてこの世の輪廻からはずれた存在になるということ=解脱をあらわしているんじゃないか、と。

書いていて気づきましたが、最初にのべた夢物語ではないかという意見にも近い気がします。仏教では現世を夢まぼろしのたぐいだと考えるからです。

あとは先程の捨丸の件も、あきらかな不倫を暗示させる描写なので、現世におちて仏教で罪とされるものを順番に味わっていってる話なのかなとも思いました。(不倫のほか、盗みや、思いがけず人を殺してしまうことになるエピソードもある)

【宮崎駿の描く姫とそれをとりまく男性に対する批判であるところのかぐや姫】

このアニメに出てくる男性は一貫してグロテスクに気持ち悪く描かれているということについて、みな意見が一致。

ひーめ!ひーめ!と言いながら手を叩きかぐや姫を呼ぶ翁の姿はナウシカの側近が「ひめさまー!」と叫ぶ様子を想起します。また、福本信行作品に出てきそうなあごの長すぎる帝が姫の了承なく後ろから抱きすくめるさまなど、はじめから最後まで男性陣が過剰に気持ちわるく演出されている。じぶんの人生をまじめに生きているようにみえた捨丸もけっきょく最後には姫の魅力に落ちてしまいます。

また、求婚する5人の男のうち、ひとりはつばめの巣をじぶんで獲ろうとして落っこちてしまい、うちどころがわるくて死んでしまいます。姫は消去法でこの男と結婚するのがいちばんましだったのではないかという意見もありました。家来に獲らせることもできたはずなのにじぶんでがんばってとるあたりがかれはガチ恋勢であり、憎めないやつなのだと。でもそいつ以外も基本的にみんな塩対応にもめげない推し全肯定の態度でした。(これでいくと後方彼氏面ポジは捨丸だったのか?)

そのほか、状況の奴隷ばかり、親や月にさかおうと思えば逆らえたのでは。主体性がない、モラトリアムで、ずっと少女でいたいという話なのか? などの意見もありました。

 

皆であるていど意見がまとまったと思ったのは、

「男性優位社会における市場価値にあらがおうとするフェミニズムの文脈をかこうとした話」というのは盛大にミスリードであり、もっとちがう部分、姫の一見人間らしいとされる感情の起伏以外のところに焦点があるのではということでした。(冷静にみると姫に人間らしさを感じ取ることはむずかしいという意見が多かった)

 

また、主な話し合いの焦点になったのは「物語の最中に起こる不思議な現象をどうとらえるか」です。

いまこうやってひととおり書いていて思ったのは、姫はそもそも竹から生まれて月に還っていくという話だと竹取物語で皆知っていて、そのことはどれだけ不思議でも自然と信じきっているのに、最中の不思議な現象(雪山で倒れても元の場所に戻っていたり、透明になったり、空を飛んだり)のことはなぜ疑ってしまうのだろうということですね。よく考えたらはじめから不思議な存在であることは十分に示唆されているのだから、姫がどんなに不思議なことを起こしてもおかしくないという態度でみていて良いはずなのに、「これはおかしい、なにか理屈があるんじゃないか」いう態度でみてしまう。それって結局、「人間にみえるように」かぐや姫に幻惑されてたのかもしれないなあなどと思いました。

 

個人的には他者とフェアな議論ができる場所をつくりたいという欲求が最近ものすごく強いのですが、今回こういう会をやったのも、その動機にむすびついています。

アニメの鑑賞会のようなことをやるのははじめてで、うまくいくか不安もありましたが、監督の画コンテだとか資料を用意して作品外の要素からも紐解いていかないかぎり作品の意図を「正しく」汲み取るのは、おおよそ難しいとおもいましたし、それにとらわれすぎず、各々の想像を手助けできるような感想、批評会ができたらそれでいいんじゃないかと思いました。今回はあるていどそれができたんじゃないかとおもっています。

一緒にみていただいたみなさまどうもありがとうございました。

クローゼットΔデルタを立ち上げようと思った理由

立ち上げようと思った理由

(クローゼットΔデルタについてはこちら)

 

そもそもはじめは(オカルト)サークルにしようと思っていました。名前にも「クローゼット」とつけたくらいで、会員制にしようかと思っていました。
ですが、個人的な話にはなりますが、閉鎖的な場所で人間関係を作るのに過去に何度も失敗を重ねてきたという経験があり、これを考えたときに少しためらってしまいました。それならば、オープンな場所で考えなおしてみようと思って、考えたのが、哲学カフェを手本にするということでした。

ためらうならば人と関わる場所を自分で作るなと思われるかもしれませんが、私は過去の人間関係の失敗も、自分が積極的に人にかかわらなかったのがひとつの原因だったと今は考えるようになっており(いわゆる、受け身すぎた)、なんとかして今後の人生は、人と積極的に関われる場所を作っておきたいと感じています。

というのも、私はひとりの力で生きていくのには限界を感じているからです。頼れる人がもっとほしいし、健全に、会話できる相手が多くほしい。それが今の率直な気持ちです。

いままでの私は、絵や小説を書き、それを読んでもらえればそれで十分でした。というのも、作品さえみてくれれば相手は自分のことを理解してくれた、くれている、そう思いこんでいたところがありました。作品に具体的な悩みを書いているわけではないのですが、そうであっても、何かしら自分にとって切実な部分を込めているのは間違いなかった。(逆にいうと、絵を体験したり小説を読めば相手のことをわかった気にもなっていました。むしろそれをやらないと理解できないとすら思っていた)それで、作品を読んでくれた人たちを過剰に信頼してしまい、十分だと思ってしまうことにより、ある意味でコミュニケーションを放棄していたのだと今になって思います。

『作品にはコミュニケーションを込めてはならない』そういう信条でやってきた自分がいちばんコミュニケーションの道具として扱っていたのかもしれません。私は評価されるという以前に、生きていくうえでの理解者がほしかったのだと思います。でもそういう気持ちと小説を書くのをいっしょくたにしてしまったのはまちがっていて、自分のことは、自分の口を使って、助けてほしいと言わなくてはならなかったのだと思います。

私はいわゆる社会の底辺層に分類される人間だったのだと思います。且つ少数派に分類される人間だった。今になってそう感じる理由は、あまりにも相談できる相手がいなかったからです。当時、いざ勇気を出して相談しても理解されなかった、(と感じる)ことが何度もありました。何に悩んでいたのか具体的に書くことは避けますが、悩みは複合的でしたし、ひとつ解決すればそれで健康になれるというタイプの人間ではなかったせいもあると思います。

正直いって、実際の私には底辺意識も少数派意識もないに等しいのですが、人と対話することで、かえってそれを感じてしまうようなことは今でもあります。あまりそういうことを感じすぎると、被害者意識が強くなっていくという心配も自分にあり、最低限を理解してくれようとする人たちを発見しておきたいというのも正直な気持ちかもしれません。

また、コミュニケーションはコミュニケーションのこととして解消させておけば自分のめざす小説に近づけるのではないかという期待もある(もともとが『作品にはコミュニケーションを込めてはならない』という信条だからです)。

 

また、先程書いた「悩み」のうちのひとつはオカルト(超常現象に悩まされたいわゆる霊障。またそれに付随する悩み)に関することでした。じつはこのことについて文章にまとめたのですが、今現時点では、まだここに公表する勇気がなく、気持ちの折り合いもつきませんでした。なので、簡単な言及だけとさせていただきます。(本当はこの部分に、今回のこの場所を立ち上げる動機が潜んでいるのですが……。)

オカルトについて気軽に話せる場所が欲しかったのですが、あまりにも話せる場所がないというのにも当時、気が付きましたし、当時だけでなく、今もそうです。一般の人がオカルトの話をできる場所というのは、宗教や占いの話ができる場所くらいです。ですが悪質なビジネスがはびこりやすい業界であると知られているところでもありますし、そういう業界にだけ役割を押し込めてしまうのは私はあまり良くないのではないかと思っています。

そういうわけで、この場所を立ち上げたのは、一般の人が気軽にオカルトや宗教の話ができる場所が、営利に関係ない場所にひとつくらいあってもいいのではないかと感じたからというのもあります。

また、オカルトを話すことによりむしろオカルトに縛られず、この先の未来、どういう思想が流行るのか、どういう生活形態をとっていくのが私たちにとって良いことなのか、人と対話することで考えて、見えてくるものがあればいいなとも思っています。

 

(クローゼットΔデルタについてはこちら)

亜弥女の活動報告2018年10月

ツイッターではお知らせしておりましたが、

LINEトーク占いでの亜弥女の電話相談販売価格が2018/10/1から変更になりました。

 

変更前 GOLD 180円/1分

変更後 PLATINUM 230円/1分

 


これにともない、すでに受付中止しておりましたが、システムの見直しと料金改定のため、
個人鑑定のページもいったん取り下げとさせていただきます。

再開の予定はありますが、受付当時、トラブルが多く、一人での運用は難しいと判断しました。

現在、手伝ってくれる予定の人材に依頼している段階です。
準備ができ次第、また個人鑑定再開いたしますのでよろしくおねがいします。


LINEトーク占いでの鑑定実績は、
鑑定1600件以上、

友達登録は6700人を超えました。

 

また、youtubeの亜弥女チャンネル

チャンネル登録800人を超え、1000人をめざして更新しております。

だいたい週2-3の更新をめざしています。

 

亜弥女のツイッター @ytbaym では、

ツイキャスにて週2回の運勢アドバイスを配信しています。

 

以上、ご都合の良いコンテンツで、亜弥女の占いを楽しんでいただければと思います。

 

ちょうどこの仕事をしはじめてから、今月で2年が経過しました。

良い報告ができたように思います。

今後も精進いたしますので、よろしくおねがいします☺

6/1からの料金変更とツイッターアカウントについて

ツイッターではお知らせしておりましたが、
6月1日からLINEトーク占い 亜弥女 の、

チャット鑑定料金が変更になりました。1分150円 → 1分200円となります。

(それに伴い個人鑑定の料金表も訂正させていただきました。)

変更から2週間経過しており、当初は「お客さん減るかなあ」と思っていたのですが、杞憂におわりました。

LINEの集客力あってのことだと思いますし、感謝しております。

 

また、ツイッターなのですが、占い情報をお伝えする専用のアカウントを作りました。
https://twitter.com/ytbaym

今後占い関係のお知らせはこちらでつぶやきますのでよろしくおねがいします。

ちなみにいままで使っていたメインのアカウントも動かしております。
https://twitter.com/rmarminor

こちらはふつうにフォローいただいていいねくださったりリプライくださってる方には関係ない話しになり恐縮なのですが……。
今後長く続けていくために運用を見直ししました。
このアカウントは今までフォローいただいたらすべて返しておりました。
ですが今後は当方が「どこで知っていただき、どの経路でたどり着いたのか?」把握していない、アカウントはフォローバックできないと思います。

また現状、FF外通知も切っておりますが、フォロー/フォロワー外から長期に渡り何度も接触してこられる方は悪意の有無問わず、以降はブロックさせていただく場合があります。よろしくおねがします。

 

最近の状況まとめ

 

  • 鑑定件数1200件を超えました。
  • LINEトーク占い亜弥女アカウントの友だち登録が6000人を超えました。
  • LINE占いMAGAZINEにて紹介していただきました。
  • Youtube亜弥女チャンネル登録件数が500を超えました。
  • 価格設定や運用見直しにともない、現在個人鑑定の受付を中止しております。

再開は6月を予定しているとお伝えしましたが、当面はこの状態になると思います。
ただ、前回鑑定ですでに次回分の割引のお約束させていただいてた方は、依頼ただければ受付させていただきます。

該当の方についてはお気軽にお問合わせください。
(割引不要ということであればLINEトーク占いやリエルを通しての依頼でももちろんかまいません)

 

LINEトーク占いのほうでは依頼をコンスタントにいただき、経験を積ませていただくことができました。
タロットとの付き合いは長いにしても、鑑定の経験のほとんどなかった自分がここまでこれたのもご縁のあった皆様のおかげだと思います。
YouTubeの方もポジティブなコメントが増えてきていて、やり方がみなさんの需要にフィットしたのだろうなと思うのですが、見ていただいている方ありがとうございます。

ただ、本当に情けないのですが体調を崩しやすく、自分の身体の性質を受け入れて付き合っていくこと、それが今後の自分の課題だと思っています。

色々と画策もしておりますので、今後見守っていただければ幸いです。
どうぞよろしくおねがいします。

 

同業者の方へ

現在所属している占い事務所とのとりきめの関係で、
同業の方との交流は控えさせていただいてます。

鑑定についても、「同業の方」だと判明しましたら、その方の意図は問わず次回からお断りさせていただくことになります。

SNSなどでもしこちらのプラスになるようなありがたいことを発信をしていただいたりしても、
私の方からはその方のプラスにもなるような行動を取ったりすることはできないと思います。

今後私としては、SNSでの発信、活動も続けていくつもりで、そうなるとどうしても関わりが出てくる部分があるかもしれず、
ただ私は冒頭に記したような立場にいるのでご理解いただきたいということを、
あらかじめここに記しておきます。

 

亜弥女