2020年10月一覧

クローゼット△デルタの歴史

※この文章は2020年10月24日発行の「closet△delta 秋号 1」に寄稿したものです。


クローゼット△デルタは宗教ではありません。
「占い師」が集まりをやる時点で宗教やスピリチュアルの文脈を引いてきてしまうわけで、ここに依存しきらずどこまで批評の態度を保ち続けることができるか。いかに現代的なケアに舵をきらずにやっていけるか挑戦する意味をこめたプロジェクトの名前みたいなものです。(立ち上げた理由はいくつかあり、くわしくはブログ参照
参加してくれる方は皆が占い師ではないから、それぞれにとってほとんど関係ない話だとおもわれがちだとおもうのですが、各々がやっている活動と関連づけて、スピリチュアルや宗教に対する造詣を深めていってほしいとおもっています。
都合により時間がないため、今回は現代の「宗教」の定義を検証し「クロデルは宗教か否か」を精査するようなことはできないですが、クローゼットΔデルタのこれまでの二年の活動を列挙して歴史を追うことで、わかってもらえるものもあるかもしれない。あらたに見えてくるものがあれば今後の活動の課題としたいとおもいます。

2018年秋頃 哲学カフェ
この集団ははじめは哲学カフェのような装いを予定していました。
(立ち上げ動機はブログにも掲載しているため省く)
定期的にあつまり、議論をする場。
「できる」と頭のなかで思っていることと、実際に手順を踏んで実行「できる」ことのあいだには少なからず隔たりがあるものだが、人はひとりでいるとそれを忘れてなんでもできるとおもってしまいがちだ。
現実がどれだけ困難なものか、思い出せる場として最低限、機能すればそれでよかったのだけれど、しかし哲学カフェはうまくいかなかった。
最初の数ヶ月続けたものの、特に誰の興味にもひっかからなかったようなのである。
人のこない哲学カフェなどあってもしかたないので、別のフックを用いてみることにした。

2018年秋-2019年春頃
怪談カフェ、宗教スピリチュアル好きのためのパーティ、
漫画読書会や映画の鑑賞会

怪談カフェや宗教好きのパーティという言い方にすると人は興味をもって参加してくれた。
また、漫画や映画の鑑賞会でも人は集まってくれた。
つまり、サブカルに寄せて消費できるように設計すると人が少なからずあつまる。
この時期、人が自発的にいちばん多く集まったのは宗教スピリチュアル好きのためのパーティだった。
人がこないイベントをやるむなしさを知ってしまったために、「人がたくさんきてくれて楽しいほう」を優先するようになったのは安直であったとはいまでもおもうが、しかしやはり必要な過程だったのであろう。

2019年春-2020春 宗教好きのパーティ継続の失敗、
そして鑑賞会メインへ

宗教好きパーティを継続するなかで、良く参加してくれていた人の挙動がおかしい時期があった。このあたりのことは人の名誉に関わる話だからくわしく説明するのは控えることにするが、そのころ、別の参加者からも、「他の参加者の言動を生理的に受け付けることができない」、などの声をきくようになり、不穏がたちこめはじめた。
とはいえ楽しんできてくれている人のほうが多いのだから、少数の意見や挙動をそこまで拡大して取り上げるような必要なかったのかもしれないが、しかし先にも書いたように、「本来の目的」からずれてきているとそもそも感じていた。
加えて、たちあがってきた問題を見てみぬふりするようなことはできなかったし、また私自身も楽しいよりも心労のほうが上回るようになってしまったというのが大きく、それで戒めとともに宗教やスピリチュアルをサブカル消費的にイベントに組み込むのはこれきりにしようということになった。(このあたりの方向転換の話もブログにも少し書いています。

そして現在まで続く鑑賞会や読書会がメインになっていく。
読書会は、文学(古典小説など)もやってみたけれど人気がなかった。どうにも私がやりたいことというのは人気がない。まあいいのですが。
アニメの語源はアニミズムであるということも発見してしまったために、アニメ鑑賞会を多くやることになっていく。

2020年春頃- 
コロナ到来&半年ごとにメンバー入れ替わりがある制度

安定して運営できるようになったものの、露悪的にやらなくなってから人は減ってしまった。しかし消費しやすいパッケージをつくる方向でいくことは今後予定していないから、なんとかいまのやり方でさらに質の良いあつまりをやっていきたい。
そういうわけで考えた結果、毎回だれがくるかわからないやり方ではなく、半年ごとにメンバーを決めて、そのなかで話し合いを深めていく制度をつくってやってみることにしました。
今年の4月からその方向にすでに切り替えており、そのメンバーのなかで、ZOOMで読書会をやったりしていた。
数は減らしたものの、鑑賞会も何回かやりました。
鑑賞会については、メンバー以外の人もたくさん呼んで、知り合いづてに招待制でやることに。(コロナの影響もかなりあるのでしばらくたったらまたオープンにするかも。)
けっきょくのところ閉じてやることと、オープンにやることのバランスがとれているのがいちばんよいのだろうなと思います。いまのやり方はけっこうバランスが良いのではないかなとおもっています。
しかし、正直いうとたとえ6か月とはいえ、一時的にでも参加面子がお互いはっきりみえるようになったことでむしろコミュニケーションのうまくいかなさを感じることもありました。
前提を共有することの困難をあらためて感じています。
けれど困難を感じることは必要なことだとおもうし、いまのやり方にして良かったんじゃないかなとやっぱり思っています。
前提や問題意識をしっかり共有できる人のあいだでは評判も良いので、まだしばらくいまのやり方を続けていこうとおもっています。
社会情勢がかわれば、みずからや、人が求めているものもかわるとおもうので、面倒くさがらず、そのときはまた調整していきたいとおもっています。

ひとまず二年経った総括として、「メンバーを決めて深堀していく」のは二年前のじぶんなら絶対に出なかった(避けていた)発想なので、あきらかになにか大きく変わったとおもう。やっていて良かったなーとあらためておもいました。
今後ともよろしくおねがいします。

2020年10月 亜弥女